パブーからの電子出版 「オレのリハビリ日記」 - 電子出版プラットフォームマップ

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パブーからの電子出版 「オレのリハビリ日記」

■ 「オレのリハビリ日記」

 私は数年前、部下の運転する車の助手席に乗っていて交通事故にあった。私を乗せた車が交差点に突っ込み右折しようとしたところに正面から対向車が飛び込んできたのである。

 私は、この事故で両足を骨折するという大怪我を負い、それからほぼ1年間の間、病院で手術やリハビリ生活をおくることになった。その経験をまとめたのが「オレのリハビリ日記」である。

 この作品は、碧天舎という自費出版を扱う中堅の出版社のノンフィクション大賞に応募して優秀賞をもらい、数年後に日本文学館から自費出版した。

 この出版は、当時、世間で批判を浴びていた共同出版(→共同出版の問題点)だった。無知な私はそのことを知らなかった。
 
 私としては、販売して収入を得ようというような強い気持ちはあまりなく、編集者に促されるまま、自身の一生の記念としようぐらいの軽い気持ちだった。だから、まったく販促活動はしなかった。

 いくつかの書店に陳列されたが、案の上、ほとんど売れなかった。ひょっとすると、私の知り合い以外には1冊も売れていないかもしれない。

 しかし、この作品を読んでくれた何人かからは、手前味噌ではあるが、結構、いい評価をいただいた。

 この作品を日の目の当たる場所においてみたい。評価を聞いてみたい。そう強く思い出したのは、電子出版を知ってからのことである。

 当時、この作品を共同出版するために、私は70万円近くの金を使った。それはどぶに金をほかすようなものだった。もう、こんな金をかけて出版することはできない。それなら他にどんな方法があるか。電子出版があるじゃないか。

 私は、こうして電子出版の世界にたどりつき、パブーからこの作品を出版することにしたのである(
→「オレのリハビリ日記」

 作品の内容には自信がある。150円である。是非、皆さんに読んで欲しい。

 つまらなかったら、請求いただければお代は返します、本当に。
 
 この作品は5章からなっているが、思い切って第1章すべてをここに掲載します。読んでみてください。そして、続きも読みたいと思ったならば、是非パブーから購入してください。よろしくお願いします。

書名 オレのリハビリ日記

著者 田中かわず

お代 150円


第1章 このオレが、一体何をしたというんや!

第2章 すりきり一杯のウンチがグザグザ、遂に出た

第3章 桜散り はなみずき咲き 梅雨匂う 病床の身は 焦れて候

第4章 看護婦さんは心の恋人

第5章 鬼は外 福は内


       第1章 このオレが、一体何をしたというんや!

 オレを助手席に乗せた軽自動車が、交差点に入り右折しようとしたところに、正面から直進車が飛び込んできた。軽自動車は交差点を弧を描きながら右折していたから、直進車はちょうどオレが、弧の突端あたりにいるところに突っ込んできたのである。
 「あ、やった!」とハンドルを握っていた同僚が叫んだ。オレは口を大きくあけて言葉もなく、衝突の衝撃にフロントガラスやドアガラスに亀裂が入る様を、何かスローモーションの画像を見ているように眺めていた。しかしその視線も車の横転とともに目標を失った。
 横転したオレたちの車は、衝突してきた車に押されてガリガリとコンクリを掻き毟り、そして止まった。車の中はハンドルを握っていた同僚の上に、オレが横倒しに覆いかぶさるような恰好である。
 同僚が下から叫んだ。
 「大丈夫ですか!
 オレは我に帰って体の感触を探った。両足がしびれている。右足は動くが、どこかひどく打っているらしい。左足は押しつぶされた車体の中にはさまっていてはずれない。しびれが痛みに変わりはじめた。オレは左手を横転したドアの把手にかけ、上体をその把手にひきつけながら、体を起こして叫んだ。
 「おーい。誰か助けてえな!
 なんとか左足をはずそうとあれこれもがくが、すべて徒労である。同僚が下方からいった。
 「ガソリンの臭いがする! 火がついたら危ない。足、なんとかなりませんか!
 「そんなこというても足が何かにはさまって離れへんわ
 事故現場に居合わせた何人かが駆け寄ってきて、「大丈夫か。怪我はないか」などと口々に呼びかけてきた。
 「足がはさまってんねん。痛いねん。頼むわ、誰か助けて。頼むわ!
 オレは誰彼構わずひたすら懇願した。 
 誰かが懸命に車体の前部を叩いている。2~3人が寄ってきて車体を起こしにかかると、車はギシッという音とともにいくらか動くが、この程度の力では元に戻らない。
 更なる数人の加勢を得てようやく車体が起きはじめ、やがて「静かに降ろしや」という声を無残に砕いて、ガシャーンという音とともに元に戻った。その衝撃に足の痛みが全身を走って、オレは思わず顔を覆い、呻き、大声で助けを求めた。
 「助けてくれ。痛いよお!
 オレの足は相変わらず車体にはさまれたままである。
 「おおい! 何か器具はないか!
 「無理に足をはずさん方がいいかもしれんぞ。救急車がくるまで待ったらどうや」などという声が聞こえ、車体をドンドンと叩く音がして、オレは身も世もなく「痛い、痛いよお!」と連呼した。
 外部から車の部品がいくらか取り除かれて、何かの拍子にオレの足が車体からはずれた。 オレはその足で立ちあがろうとしてみるが、オレの意思に足が反応しない。ブラブラした感覚と刺すような痛みがある。骨が折れているのだ。オレは天を仰いだ。
 「がんばれ、大丈夫か」「もうすぐ救急車がくるからな」などと励まされ、これに頷きながら痛みに耐えているうち救急車がきた。担架が運ばれて、誰かがオレの足を持上げ、体ごと車体から引きずり出そうとすると、ゴキッという音がして、オレはたまらず呻いた。
 脳髄を刺すような痛みである。何か冷たくベトついた感触が右足の膝あたりにあり、その方向に少し顔を上げて見ると、ズボンの上に広く黒いシミのように広がるものがある。血だ。
 ようやく担架に乗せられ救急車に入ると、40歳後半かと見える、青白い顔をした女性が、窓わきの椅子に腰掛けてさかんに携帯電話で誰かに連絡している。衝突してきた乗用車の運転手である。こちらの車を運転していた同僚も入ってきた。2人とも体に異常はないようだ。
 オレは痛みに耐えかねて「ああ、痛い、痛い!」と呻きながら、救急車の内部に備えつけられている把手様のものを左手に握りしめ、「吐き気はないですか。大丈夫ですか」とオレに問いかけてくる、若い、まだ見習いかとも見える救急士の手を右手に握りしめた。
 コンクリの継ぎ目や段差などの振動に足が疼き、そのたびに頭を左右に振ってオレは痛みに耐えた。その痛みの中で救急車内を見回すと、先程の中年の女性は、真っ青な顔つきで声を震わせながら、携帯電話でさかんに誰かと話をし、同僚は悄然と肩を落とし、頭を抱えてみじろぎもしない。顔つきは見えないが、落胆と不安が体全体から滲み出ているようだ。
 若い救命士はオレに片手を握られ、もう片手を所在なげに宙に浮かせて、オレの顔を見つめている。何かをしたい、いいたい風だが、何をして、あるいはいっていいのかわからないようだ。経験不足なのであろう。
 オレは痛みに耐え、呻く合間にこの3人の挙止を追いながら、このとき、奇妙なことにこんなことを考えていた。
 (オレの足はどうやらかなり複雑に折れて、なんとも痛くてたまらんが、心理的には彼らよりもオレの方が気楽なんかも知れん。相手の車に非があるか、こちらの車に非があるかはよくはわからんが、どちらに非があるにしてもオレは被害者や。それに比べこの女性や同僚は、けがこそないものの、その心理状態たるやたまらんものがあるやろ。この状態を人が見れば、オレは担架の上で苦しみ呻きのたうって、女性や同僚はたいしたけがもなく、被害者はこのオレだとみられるやろが、事故の責任、損害賠償、世間からの非難などなど、実は本当の苦しみは彼らのほうがはるかに深いに違いない。この救命士は、今、なすすべもない風情でこのオレに手を握りしめられて竦んでるが、心の中では何を考えてるんやろ。オレのことやろか。それとも昨夜の彼女とのデートのことやろか。救命士の適性って何やろ。この子にはその適性があるやろか

 最後の大きな段差に車が乗り上げて、オレが一声大きく呻いた後、救急車は病院に着いた。担架からストレッチャーに移されレントゲン室に向かう。
 「ズボンを切ってもいいですか」と問いかけてくる技師に、オレが頷いてズボンが切り取られ、レントゲン撮影が始まった。
 「ちょっと痛いけど我慢しいや」と技師が、オレの足を持ち上げ少しねじると、ゴキッという音が耳元まで聞こえ、オレは「やめて、やめて!」と絶叫した。しかしオレの意思に関係なく撮影は続いた。
 撮影が終わる頃、院長がやってきた。院長は、回りから簡単に状況を聞いた後「ちゃんとしたるからな。大丈夫やからな。しっかりしいや」そういいながら、オレの右足を堅くさわり、そして思いっきり引っ張った。オレはその痛さに飛び上がらんばかりである。
 「何すんねん、痛いやんか!」と我を忘れて罵り叫ぶと、院長は「これでちょっとは楽になったやろ」と平然とおっしゃる。確かに引っ張られた足が何かにはまった感覚があり、少し痛みが薄らいだようである。折れてずれた骨の一部が元に戻ったのだろうか。
 水を飲みたい。喉はカラカラに渇ききり、唇がカサカサに毛羽立ちはじめている。しかし「水を一杯くれ!」とのオレの嘆願に返事は無情だ。
 「ダメ、ダメ。まだ今はダメです。もうちょっと辛抱してください
 レントゲン撮影が終わり治療室に向かった。右足は骨が折れたことに加えかなり深い裂傷がある。その傷口に消毒液を流しかけられると、オレは身を焼かれるような痛みにまたもや呻いた。
 「痛い、痛い!
 オレはこの頃から痛い、痛い、ああ痛い、痛いと、頭を左右に振りながらとめどもなく連呼しはじめた。どこかに痛みに慣れ始めた感覚があって、声をたてるのを我慢しようと思えばできないことはないのだが、大声でそう連呼していると、なんとなく痛みが和らぐ気がするのだ。
 一応の治療が終わり病室に向った。オレはストレッチャーの上で、頭を左右に振りながら、痛い、痛いと連発した。院長が「あんた、少し声出すの、我慢でけへんか。これじゃ他の患者さんが迷惑するで」とオレの心情を見透かしたように、呻き声の大きさをたしなめ、そしていった。
 「しっかりしいや。ちゃんと、足、直したるからな
 オレは思わず聞き返したものだ。
 「足は切断しなくてもいいんですか
 「大丈夫、大丈夫。ちゃんと歩けるように直したるから」と院長。
 オレは正直、その言葉にすがる思いだった。
 
 病室にいくと幸い個室があいていた。オレはその部屋に運ばれ、ストレッチャーからベッドに移されて応急的に両足を固定された。ベッドに横たわっていると痛みは和らいできたものの、足全体が腫れた感触に悩まされる。膝下あたりから足首にかけては自分の足ではないようだ。
 午後6時頃、職場の上司や同僚が駆けつけてくれた。口々に「どうや」「大変な目に会ったなあ」などといいながら、それぞれが曇った顔を見せている。
 8時頃、妻から電話があった。職場の上司から連絡が入っていたのだ。上司が電話したとき、妻は泣き声だったと聞かされていたが、オレの聞くその声は以外に明るい。
 「ちゃんと治療して早く直してや。私も双子を抱えて大変なんやから
 オレはその声を神妙に聞いた。これは相手に心理的な負担をかけないための妻のスタイルなのである。虚勢を張ったその裏で心は泣いている。心を隠してわざと明るく振る舞い、オレを慰めているのである。オレにはできない芸当だ。
 9時頃、母から電話が入った。事情を概略説明すると、胸や脊髄や脳に影響がなくて本当によかった、不幸中の幸いだったとしんみりいう。
 その声を聞きながらオレはあらためて事故を振り返った。相手の車が軽自動車ではなくトラックだったら、あるいは衝突してきたのが真横だったら、あのこぼれ出ていたガソリンに火がついていたら、そんな思いに身が竦む。
 
 足がじんじんしびれ痛む中での一夜は長い。部屋に時計はなかったから時間がわからず、時折様子を見にくる看護士に聞く。体は起こすこともねじることもできないから、そのうち腰がうずき始める。常に仰向けの姿勢は内臓を圧迫するのだろう、腹部も圧迫感で痛み始めた。 腰に手を差し入れてさすったり、ざぶとんを腰に当てたりしながら、これから始まるだろう療養生活に思いを馳せ、複合化されたこれらの痛みに、オレはじっと耐えた。
 寝ているような起きているような、そんな虚ろな状態が幾時間か続いた後、夜更けにオレは足の痛みに目覚めた。耳をすますと空調の音が小さく聞こえてくる。何かがうなっているようだ。その音に心を集中すると、音は徐々に肥大化し、耳鳴りとなってオレを圧迫してくる。オレはその音に圧殺されそうだ。いかん、いかん、そう思い、心を他に飛ばした。 
 (何か他のことを考えるんや!
 昨日の事故の経過を丹念に追って見る。直進車がこちらの車に飛び込んできたとき、運転していた同僚は「あ、やった!」と叫んだ。場所は見通しのよくきく交差点だし、直進車優先が原則だ。いつもだったらきっと右折の前に前方を確かめ、一時停止していたことだろう。突発的に彼の口から出たあの言葉は、あれはひょっとすると自分の非を瞬時に理解したためだったのかもしれない。何かに心を捕らえられて起こる瞬間の落とし穴。きっとああいうのを魔がさしたというのだろう。
 病室の外から、ストレッチャーを押す音やどこかの病室のドアを開ける音に混じって、看護士か誰かの、勤務に疲れたものか、物憂い靴音が間遠に聞こえてきた。
 夜明けが近いのだ。オレのこの部屋にも白々夜明けのざわめきの予兆のようなものが漂い始めたようである。オレは夜明けが恋しくその訪れを焦がれるように待った。夜が明けたからといって何がある訳ではないが、こうした静寂の中で足を疼かせ、空調の音に耳を圧殺されていると、いつもはときには煩わしくさえ思える日常生活の人や物のざわめきが、やけに恋しくてしかたがないのである。

 翌日は手術である。午前中はまんじりともせず過ごし、午後3時頃、3~4人の看護士がやってきて、オレを手術衣に着替えさせた。長らしい看護士が、他の看護士に老練に指示を飛ばす。
 「両足が折れているから気をつけてね。Aさん、あんたは腰を持ち上げて。Bさん、あんたは両足のももを支えてね。Cさん、あんたは背中を抱き上げて。私は腕をもってるから。さあ、いくわよ。ゆっくりね」
 看護士に抱きかかえられて、オレの体はベッドを離れたが、足を持っていた看護士が何かにつまずき、オレの右足がダラッと床に垂れた。オレは力のかぎり絶叫した。おさまっていたかにみえた足の痛みが、昨日の事故を再現するかのようにオレの脳髄を直撃したのである。 
 体制を元に戻してストレッチャーに横たえられたちょうどそのとき、妻が病室に入ってきてオレに目くばせし、手にこぶしをつくって「がんばりや」と声をかけてくれた。
 手術は右足からである。今朝、主治医がやってきて「右足は3か所折れ、左足のくるぶしの骨が粉砕気味に骨折してる。それに右足はいわゆる開放骨折で裂傷もあるから、折れたところにギブスを巻くと傷口が化膿する恐れがある。それを避けるため、創外固定といって、足の外側から骨を固定する手術をしようと思うんやがどうか」とオレに告げたのである。今、オレはまな板の鯉同然で、医師の指示に従うほかない。その説明にオレはうなずき、同意書にサインしたのである。
 手術室は、全体が明るいうす茶系の色に彩色されただだっぴろい部屋で、患者の気持ちを和ませる配慮からだろう、室内に穏やかな音楽が流れていた。美空ひばりの「川の流れのように」である。室内の中央の天井に、テレビなどで手術の画面によく見かける、UFOを浮かべたような丸い白色燈の群れが、オレをおびき寄せるようにこうこうと光輝いている。
 ちょうどその白色燈の真下に手術用のベッドがあり、オレはそこに移された。白衣とマスクに身を包んで、目だけを光らせた医師や看護士は、まったく秩序だってそつがない。オレにとっては身を縮ませる今日の手術も、彼らにとっては単なる毎日の職業生活の一部に過ぎないのである。 
 足の洗浄、点滴の確認その他あれこれの作業が続き、最後にオレの両手は布様のもので手術台から延ばされたアームに縛りつけられた。
 看護士から、今日の手術は下半身麻酔だと聞かされていたから、脊髄に大きな麻酔注射を打たれ、その痛みに耐えれば、後は足を切開したり骨を削ったりする音や縫合する音を、子守歌がわりに聞いていればいい、我慢するのは注射のときだけだとオレは思っていた。 
 そのことを看護士にも確かめていたのだが、手術が始まると、オレのその思いは虚しく打ち砕かれた。麻酔はいわゆる局部麻酔で、切開する部位のあたりにわずかに施されるにすぎなかったのである。
 手術は、折れた骨を固定するために、まず右足に6本の鉄の棒を打ち込み、その棒を足の外側からわっかのような器具で相互に連結させるというものだった。
 1本目の鉄棒を打ち込む部位に麻酔を施すことから手術は始まった。
 何本かの注射が、切開する部位の周辺に打たれ、麻酔がきいたとみるやその部位の肉を切開していく。麻酔の効いている部位はいい。切開が麻酔の効いている部位とそうでない部位の境目あたりにくると、麻酔の効いていない部位の神経を刺激するのだろう、飛び上がらんばかりに痛む。まるで足が切断されるかのようだ。おれはその痛さに呻き、そして叫んだ。
 切開が2本目にかかったとき、オレの叫び声を聞いて主治医がこういった。
 「あんた。女、子供でもこうして同じように手術して、我慢しているんやで。男のあんたが我慢できんはずないやろ。がんばりや」 
 (女が、子供がどうしたというんや。女や子供に耐えられたって、このオレにこの痛みが耐えられるか! それに女、子供という物言いは差別やぞ!
 オレはうめきながら、心の中でそう罵ったものだ。 
 看護士がオレの口に濡れタオルをはさんだ。オレはその濡れタオルをくわえ、布でくくり付けられた両手を強く握りしめて手術の痛みに耐えに耐えた。
 主治医は、切開する部位の周辺を丹念に探って部分麻酔を施し、麻酔が効いたとみるや、のこぎり様の器具をシューシューとうならせながら、足を切開していく。またもや器具が麻酔の効いている部位とそうでない部位あたりで神経を刺激し、体が根こそぎ引きちぎられるような痛みに、オレは体を海老ぞらせて吠えた。
 「ああ、堪忍してくれ!
 看護士がオレの右手を握りしめてくれる。オレは咥えていたタオルを吹き飛ばしながら訴えた。
 「先生。堪忍や。本当にもう堪忍や。このオレが、一体何をしたというんや!
 オレに許された抵抗は、もう哀願することだけである。
 しかし手術は非情にもオレのその声を無視して延々と続いた。1つの部位が終わるとすかさず切開は次の部位に移る。肉を裂き、骨に穴を穿ち、そこに鉄棒を打ち込む作業が続いていくのである。
 10数年前に膵臓の検査をしたときのことを思い出す。膵胆肝造影といった。
 胃カメラを胃から腸に送り込み、その先端あたりで造影剤を注入して膵臓の動きを見るのである。胃カメラが胃から腸に挿入されるとき、腸の粘膜を刺激するのだろう、オレは今だ勝手知らない痛みに呻いた。内臓が掻きむしられるようだった。
 腸から膵管に向けて造影剤を噴射するときも身をよじるような痛みを感じたものだ。あれはなんとも苦しい検査だった。聞くところによると、脳造影検査についで苦しい検査だということだった。
 しかし、今日の手術はあの比ではない。オレはその痛みに叫び、泣き、哀願した。オレはその間、この世のあらゆるものを恨みに恨んで身も世もなくのたうち回った。喉はカラカラに干上がり、唇は昨日の事故後と同様にカサカサに毛羽立っている。
 もう少し、もう少しやからがんばりやと繰り返すその言葉とは裏腹に、とめどなく続いた手術は、午後6時前にやっと終わった。始まってから3時間近くがたっている。
 「これで終わりやで」との主治医の声が、脱力したオレの脳裏に空虚なこだまのように鳴り響いた。手術はやっと終わったのだ。
 手術の成功に安心したのだろう、オレの足を消毒し撫でさすって、手術の結果を確かめながら、これまでの緊張を消して主治医は、看護士と盛んに軽口を叩いている。
 「今年の忘年会には、ビール3本、差し入れたるわ
 「え、先生、たったの3本。それはないですよ」と看護士。
 「それじゃ発泡酒で4本にしようか
 「それじゃ、金額一緒ですやん。先生のケチ
 「 アハハ・・・
 オレは手術室内の手術の後の弛緩した空気の中で、やっと安堵のため息をついた。本当に、本当に手術は終わったのである。
 ストレッチャーに移され病室のベッドに帰ると、妻が「よう頑張ったね」と声をかけてくれた。
 「ああ、痛かった。こんなん初めてや」とオレ。
 妻が柿を差し出してくれた。熟柿である。甘くてうまい。しかしその甘さもひとときのことだった。オレは何切かを食べた後、思い出したのである。
 (まだ左足の手術が残ってるやんか!

 8時頃、主治医が様子を見にきた。
 「どうや、調子は?
 「じんじん、じんじん痛みますわ。腰も痛いし、たまらんですわ
 「もうすこしの辛抱やからな。あんまり痛みがひどいようやったら痛み止めを飲んだらええ。薬は看護婦さんに出すよういってるから。それから左足やけど、裂傷も少ないし、皆で検討した結果、ギブスを巻いて固定することにした。これでもう今日みたいな痛い目をすることはないからな
 (左足は手術せんでもいいんや!
 オレはそれを聞いて、心の底から安堵のため息をついた。これで手術は本当に終わったのである。しかし、そのオレの安心しきった心に冷水を浴びせるように、主治医はこういった。
 「手術はうまくいったんやけど、後でレントゲン見たら、固定棒を2本ほど追加した方がいいみたいなんや。今日は六本いれたけど、2~3日内にもうあと2本追加する手術をしようと思う。心配ない。今度はすぐ終わるからな
 オレは愕然としながらその声を聞いた。
 (この先生、人の気も知らんと平然としてよういうわ。人を天国に上げたと思たら、今度は奈落の底やんか
 しかしオレは俎板の鯉である。その言葉にうなだれるしかない。
 夜中にすこしウトウトして、ジンジンする足の疼きに目覚めた。創外固定とは、実際にはどんなものなのか、まだオレは見ていない。体を持上げ、恐る恐る毛布をめくってみる。しかし右足の膝下あたりから足首にかけて、何かの器具がしっかり固定されているのはわかるが、その固定器には包帯がぐるぐる巻かれているため、全体像がよくわからない。重い。この器具はとにかく重い。足は上げようと試みてもびくともしない。心臓の鼓動に合わせて、ジンジンジンジン足が痛む。その痛みは体全体に伝わり、遂には脳髄を侵食していくようだ。
 オレには今、こいつから逃れる術はない。オレはただ、今を耐えるだけである。辛く恨めしい。しかし、こいつにオレの右足は侵蝕されているが、オレには希望がある。足が直るという希望がある。オレはその希望に縋って今を耐えた。
 オレは森閑としたこの闇の中で、単調な空調の音を聞きながら、両足をつなぎとめられ逃れ得ないわが身を思い、何かから逃れられないことに狂うという心情に思いをめぐらせたのだった。

 2回目の手術はその3日後だった。あれから主治医の言葉を反芻しているうちに、オレの心の中に徐々に不安が募ってきた。
 (もう一度、右足を手術するというのは、ひょっとすると1回目の手術が失敗したからやないか。主治医はそれを糊塗するためにあんな気楽な口調で、オレに再手術の必要性を伝えたんやないか。あの言葉には裏に隠された何かがあったに違いない。そういえば心なしか主治医の口調は震えてはいなかったか。いったいこの病院のインフォームドコンセントはどうなってるんや
 しかし、オレはその増幅する思いを断ち切ろうとした。後から考えれば他の選択肢も考えられたのだが、あのときはどうもがこうともオレに残された選択肢は、この足を手術することしかないように思われたのである。
 手術は午後3時からだと聞かされた。午後2時すぎに義兄が妻に替わって、手術の付添いにきてくれた。災いは重なるときは重なるもので、オレが事故にあった2日後、実は息子が肺炎で入院し、妻はその看護で手一杯だったのである。
 事故の状況や手術のことをあれこれ義兄に話すうち、手術の予定時間が過ぎて、3時30分になった。第1回目の手術はちょうどこの頃だったことが思い出され、オレの動悸は一挙に高鳴り、何か息苦しくなってきた。
 廊下を通り過ぎるるストレッチャーの音や医者や看護士らしい人の話声が聞こえてくると、また「あのとき」が遂にきたのかと身が縮む思いだ。
 オレは義兄に「インフォームドコンセントということもあるから、なぜ右足を再度手術しなければならないか、よくよく主治医に聞きたい。義兄さんも一緒によろしくお願いします」と頼み込んだ。
 今朝の未明からやけにまだ手術をしていない左脚が疼いている。たまらずベッドの右の手すりに両手をかけ、思いっきり上体を手すりの方に引きつけると、すこしばかり疼きがおさまるようだ。
 4時を過ぎてもまだ呼び出しはない。長い長い時間が過ぎていく。午後5時頃、看護士に問い合わせると「今、別の手術が入っている」との返事である。
 5時30分になる。蛇の生殺しとはこのことである。恐怖は増幅する。オレはまた「あのとき」を思い出し、あの痛みに必死に耐える訓練を、ベッドの上で何度も何度も繰り返した。
 6時になる。オレはこの頃から、誰かが「手術は後日に延期する」と告げにくることをひたすら期待しはじめた。後日にしたところで同じことをやる訳だから、それは単なる時間の引き延ばしに過ぎないことはわかっているが、あの手術の苦痛を思うと、数分でも数秒でもいい、手術を先に延ばしたかったのである。
 しかし、オレのそんな思いを打ち砕くように6時30分過ぎに「お待たせしました。これから手術室にいきましょう」と数人の看護士が、勢いよく部屋に入ってきた。
 遂にそのときはやってきたのである。オレをベッドからストレッチャーに移動しようとする看護士に「先生は?」と尋ねると、手術室だという。オレは出鼻をくじかれた思いで、それじゃ手術室で主治医から説明を聞こうと義兄に同道を求めた。
 手術室にそのまま入ろうとする看護士を制して、今日の手術の説明をよく聞きたいのでここに主治医を呼んで欲しいと頼むと、やや不信な面持ちで看護士が手術室に入り、少し間をおいて、手術衣を着た主治医が出てきた。
 オレは、たまらずこう聞いたものだ。
 「先生、第1回目の手術が失敗したのでやり直すんやないんですか。正直にいってください」
 そのオレの問いに、主治医は苦笑いしながらいった。
 「本当に補強するだけですよ。私を信じてください
 オレは何かを訴えたいがその何かがどうしても見つからず、ただうなだれるばかりだ。
 オレに救いの目を向けられた義兄が、主治医にこう聞いた。
 「先生、本人が不安がっているんです。なぜ、追加手術が必要であるのか、もう少し具体的に説明してやってくれませんか
 「困りましたねえ。この前の手術の後、レントゲンを見て、みんなで検討した結果、6本では固定状態が不安定だということになったんですわ。やはりしっかり固定しとかんと、後々が心配やからね
 「この前の手術が失敗やったということではないんですね
 「そんなことは絶対にありません。手術は問題なく終わったんやけど、後でレントゲンを見て・・・。こういうことはままあるんですよ
 義兄がオレを見た。目がどうしよう? とオレに問いかけている。
 ここは主治医を信じるしかない。オレは観念した。
 「義兄さん、もういいです。先生、わかりました。よろしくお願いします
 手術室に入ると、中央でこうこうと輝く白色燈が、またもやオレを招いている。手術衣に身を包んだ医師やら看護士が、手順どおりに声を掛け合いながら、オレを手術台へと導いた。そこにはこの前の手術そのままに、手術台と手術台から延ばされたアームがあり、オレの手はまたもやそのアームに縛りつけられ、そしてあのおぞましくも過酷な手術が始まったのだった。
  
 こうして右足に創外固定を、左足にギブスを巻いたオレは、この後、別の病院に転院し、再度両足の手術をすることになったのだが、その手術は全身麻酔で行なわれたから、事故直後や創外固定時のような痛みにはもう出会うことはなかった。しかし、転院して後の再手術の前に行われた創外固定器の取り外しは、痛みという意味ではたいしたことではなかったが、何か忘れられぬ記憶としてオレの心の中にある。
 再手術は骨の中にチタンの棒を挿入して骨折部分を固定するという手術だった。そのためにはまずギプスと創外固定器を取り外さなければならない。ギプスの取り外しは簡単だが、創外固定器の取り外しは厄介である。なにせ8本の鉄棒が、足の骨の中に打ちこまれているのだから。
 主治医は病室にきてこういった。
 「骨は神経が通っていないから取り外しても痛みはないよ。創外固定をするときは苦しかったやろが、これをはずすときは、その痛みは固定するときの1000分の1ぐらいやから何も心配ない。手術室でやるほどのことやないから、このベッドの上でやろう
 オレはその言葉に半信半疑だった。
 (いくら骨に神経が通っていないからといって、その骨に打ち込まれた鉄棒を引き抜くんや。痛くないはずがない。あの手術のときのようにえらい目にあうかもしれへん。前の病院では随分騙されたから心した方がいい。ベッドでやるからといって安心なぞできやしない
 やはりその予想は、半分は当たっていたのである。
 再手術の2日前、主治医と若い研修医が病室にやってきて、さあこれから固定器をはずしますと宣言し、取り外しが始まった。
 下半身の下にナイロン様のシートが敷かれ、ついで8本の鉄棒を連結している、わっか様の器具がスパナか何かの器具で外されていく。その連結器具が取り除かれると、そこには足に埋め込まれた8本の鉄棒が、まるで田畑に打ち立てられた杭のような姿を現す。オレは恐る恐るそれを見た。
 これまでは連結の器具やガーゼに遮られていたから、鉄棒がまさにオレの皮膚を突き通しているのを見るのは初めてである。オレは思わず生唾を呑み込み、目をそむけたものだ。
 さあ、これからこの鉄棒を1本1本抜いていくのである。
 「これはなかなか固いな」などと研修医に話しかけながら、主治医はネジを回しはずすような要領で、鉄棒を引き抜いていった。なんともいえない感触がある。何かがヌルッと抜けていくようで、そのときは痛みはないが、ねじった拍子に鉄棒と皮膚とが擦れ合うとチリチリと痛みが走る。確かに鉄棒を固定するときの痛みに比べれば雲泥の差であるが、それでもやはり痛い。オレは気色悪いやら痛いやら、タオルで顔を覆いながら鉄棒が抜かれるたびに小さく呻いた。
 病室は大部屋である。同室の患者が息を潜めて様子を窺っているのがよくわかる。主治医が若い研修医に「こうやるんや、1回やってみい」といった。
オレはタオルの端を噛んで心の中で罵ったものだ。(オレはモルモットか!
 「本当に固いですねえ」とは研修医。鉄棒を無理にひねったのだろう、そのひねりに合わせて足全体が引っ張られ、オレはたまらず「アイタタ!」と大きく声を上げた。
 「お、すまん、すまん、痛かったか」と主治医が研修医にかわって謝った。
 オレは思ったものだ。
 (こんなこと、手術室とはいわんけど、せめて病室じゃなく処置室でやってくれよ。見てみいな、病室のみんなが、オレの声とアンタらの仕種にこんなに静かに聞き耳をたててるやないか!
 40分ほどかけてやっと半分の4本の鉄棒が抜かれ、思いのほか手こずったのだろう、主治医がちょっと休憩しようといった。
 主治医と研修医がナースステーションに消えるのを待ちかねたように、この病室で親しくなった隣りのベッドのおっちゃんが、カーテンをそっと開けながら、オレの足を見てこういった。
 「すごいなあ、その足。えらい立派な鉄棒が入ってるやんか。これ抜いてたんかいな。みんな、何事やろうと思うたで。えぐいことするなあ、先生も。こんなん病室で抜くなんて何考えてんのやろ。こっちまでえらい迷惑やぜ。あんたのうめき声でみんなたまらんがな。嫁さんとのあのときの声みたいやで
 悪気はないのである。ひょっとするとこれで、オレを慰めているつもりなのかも知れない。しかしオレに笑い返す余裕はない。オレは、もう少し、もう少しやと自分自身を励ますばかりだ。
 主治医らが休憩を終えて作業が再開された。
 「固いなあ。肉が棒にまきついてるんちゃうか
 「この皮膚、少し切りましょうか」と研修医。
 (冗談やない。勝手に切られてたまるか!
 オレが、またもや心の中で研修医を罵ったちょうどそのとき、鉄棒がスムーズに抜けないことにイラだったものか、主治医がぼそっと小さく一人ごちた。その声をオレは確かにこう聞いた。
 「わざわざこんな創外固定なんて旧式なこと、せんでもよかったのになあ
 その言葉はオレの心のどこかに確かに突き刺さったが、オレはそのときはとにかく処置が早く終わって欲しい一心で、(もう少しの辛抱や、頑張れ、頑張れ!)そう念じるばかりだった。
あとの4本は20分ほどで抜けた。しめて1時間近くの格闘だった。
 これは後日の話。鉄棒を抜いて両足の手術が終わった後、職場の先輩が見舞いにきてくれ、こんなことをオレにいったことがある。
 「ホンマにこの病院に代われてよかったなあ。おまえが担ぎこまれたあの病院、地元では風邪以外では入院したらあかんていわれてるらしいで
 2度にわたった手術、あの病院でのいろんなこと、創外固定器を取り外したときの主治医の言葉などが脳裏に浮かんで、オレにはその言葉に得心するものがあった。
 (何か引っかかるもんがあったけど、やっぱりそういうことやったんか
 しかし、オレはその思いを心の中に封印した。
 (もういいやないか。オレはあの手術で足を切りとられた訳やないんやし、こうして無事に再手術も終わったんやから
 オレはこのとき、あの過酷な手術が、実は無駄な手術で他にも適切な対処の仕様があったなんてことは、考えたくもなかったのである。

 これが事故とそれに続く手術で、オレの味わった痛みの一部始終であるが、事故から3ヵ月が経ち、リハビリの甲斐あって平地であればなんとか松葉杖をつきながら歩けるまでに回復した今でも、事故の瞬間やあの過酷だった手術の情景は、瞼を閉じればまざまざと思い起こすことができる。
 しかしその情景がこれまで一度も夢の中に現れなかったのを不思議に思っていた矢先、オレは昨夜こんな夢を見た。
 夢の中でもオレは眠っていて、その眠りから目覚めると、ベッドに堅く縛りつけられている。何かカチャカチャいう音が足元でするので首を持ち上げると、そこには白衣とマスクに身を包んで、目だけを異様に光らせている数人の医師と看護士がいた。医師の手にあるのはなんとノコギリだ。看護士はというと、手に手に斧を握っている。 オレはそれを見るなり、恐怖のために「助けてくれ! 一体このオレが何をしたというねん!」そう声を限りに叫んだ。
 場面が一転する。オレは手術台の上に座ってうな丼を食べている。見るとベッドの回りで医師や看護士がビールを飲みながらニコニコ笑いあっていて、その中のひとりがオレにこういった。
 「どう、あなたも一杯いかが?
 オレは喉がカラカラに干上がっていることに気づき、そのビールを奪うように受け取ると、一気に喉に流し込んだ。
 場面がまたもやぼやけて一転し、今度はオレは病室のベッドの上である。傍らの椅子には妻が腰掛けていて、何か盛んにオレに話しかけてくる。その声を遠くに聞きながら、そのうちオレはまた眠りにつく…。
 未明に目覚めて(けったいな夢なったなあ)と、オレはベッドの上で一人ごち、確かにここがベッドであることを確認し、次いで腰の下には両足がちゃんとついていることに安心して、昨日詠んで友人に書き送った戯れ歌のひとつを思い出したのである。
 
はや3月 食べたいものはと 聞かれたら うな丼 肝吸い ビールは必ず
 
 そしてオレはしみじみこう思ったのである。
 (人は苦しみや悲しみをいつまでも心の中に重畳的に積み重ねて生きていくことはでけへん。心が健常であればいつしかこれらの思い出は、時間の流れの中で風化していくもんや。双方の車とも修理不能でガラクタと化したと聞いたが、オレはあの事故の残骸とともに、オレがあのとき感じていた生活の鬱屈をもあの場所に置き捨てて、そしてきっと今から心の有り様のどこかを変えて、これからの厳しいリハビリにも耐えていこう。)
 それにしても、ビールを飲みながらうな丼を食いてえなあ。それに、オレはこんなに痛い目におうたんやぜ、少しはこのオレを尊敬しろよと笑いながら、誰彼に痛み自慢のできる日が早くきてほしいもんやなあ)

       (第2章に続く)


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                        春ですね。


     
  




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